デニム生地の工場、ジーンズの縫製や加工工場などが集まる「デニムの聖地・井原」。
井原市は江戸時代中期に綿花栽培が盛んになり藍染織物(手織り)の産地となりました。明治~大正時代に入ると、「備中小倉」のブランドを中心に厚地藍染綿織物が大量に生産されるようになり、学生服や作業服の服地に使用され、その製品は海外へも大量に輸出されていました。
そのバリエーションのひとつとして「裏白」と呼ばれていた表面が藍色、裏面が白色(生成)の厚地織物がありました。それがまさに、米国で「DENIM」と呼ばれていたものと同様のものであり、国産デニムのルーツといわれています。
終戦後、GHQが持ちこんだ米国文化の流入とともに、「裏白」をベースにしたデニム生地を使ったジーンズの生産が始まりました。昭和45年(1970年)頃には、年間1500万本のジーンズを井原で生産(国内の75%の生産量)するまでになりました。現在の井原デニムは、シャトル織機から生みだされるセルビッチデニムをはじめ、ジャガードなどの柄物、草木染めなどの染料にこだわったもの、オーガニックコットンなどの差別化された原料にこだわったもの、シルクやレーヨン、機能的な合成繊維との組合せによるものなど、デニムの無限の可能性を創造し続けています。そんな井原デニムに世界が注目し、欧米のバイヤーから絶賛され、欧米向けに数多く輸出されています。